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ツール・ド・東北

01 December 2016

長時間電車に揺られるのは、時としていいものです。自転車とカメラバッグ、あふれん荷物を抱える私を乗せた電車は目的地へと向かっていましたが、仙台から石巻まで、寂しい駅で4回の乗り換えと、それに伴う人里離れた場所での乗り換え待ちもあって旅路は辛いほど遅々としていました。たっぷりある時間はこの周囲の環境について思いを巡らせることになりました。静寂があり、今ここで感じている全てが、ここではいかに普通であるかということについて。

東日本大震災。2011年に起きた、世界の歴史の中で最も痛烈な自然災害はこの国を永遠に変えてしまいました。その9日後にチャリティライドを行ったRaphaは、引き続きこの災害を見つめ続け、2012年にはRapha Continenalプロジェクトでライドと撮影を行っています。まだ雰囲気も異様で多くの道がまともに走れない状況にあり、清掃作業がそこかしこで進行中でした。住人の姿を見かけることは稀でしたが、彼らは先の見えない中で、何がここで起きたのかを受け入れる最初のステップに向かっていたのです。この最初の訪問の間、笑顔やその他の感情は珍しく、ほとんどどんな会話の試みも静かに消沈してしまいました。続く2年間は意義深いライドが行われました。この地への想いが継続していただけでなく、その再建の始まりを目撃することができたのです。そして今、10メートルもの津波が多くの命を奪い去ったあの日から5年を迎えようとしています。

1952年に河北新報が戦後復興を目的として最初に始めたツール・ド・東北は、年に一度のイベントに生まれ変わりました。もともとは20年間続き、1993年から2008年までは5日間のステージレースとして好評を博していました。現在は3500人を集める大きなイベントで、コースは起伏に富む海岸線を走る60kmから211kmのコースが選択可能で、世界中の人々を惹きつけています。参加者は元気と貴重な収入を、いまだ困難に直面している地域ビジネスにもたらしています。

ルートのスタートは石巻。美しい海岸線が伸び、朝にはモヤの立ち込める幻想的な風景にハッと息をのみ、そこで目にしたたくさんの心からの笑顔は、私がこれまでに見たことのないほどの多さでした。あらゆる年齢の地元の人々がルートの全域にいて、それは5:30の辛い早朝でもそうだったのですが、多くの人々がまだパジャマ姿のままに、手作りのバナーや旗を掲げて参加者を応援しているのでした。この人々の交流体験は、ライダーたちを人々や風景、ここで自転車に乗ることの意味とつなげ、参加者をまたこの地に戻らせるのです。

最初のエイドステーションは最近修復された女川駅。4年前に倒壊し、現代建築デザインへの貢献でも知られるプリツカー受賞建築家、坂茂によって再デザインされた駅です。私はここで佐藤光国さんと合流。以前にここを訪問ライドした時に案内をしてくれた彼はこの地域出身で、この日のコースはかつて彼の家があった場所を通ることになっていました。光国さんは、ライダーたちが参加してくれることに対して人々がどれだけ感謝しているか、それを実感した自身の体験を説明してくれました。これは私がここで写真を撮ってもいいかと人に尋ねる時や、満面の笑みで挨拶をされるときいつも感じることです。一番感動的な瞬間は、愛情表現を公けにしない国ではほとんど聞かない習慣ですが、踊っていた70代の方にぎゅうっとハグされたこと。

このようなイベントの重要な部分は、ライダーをその周りの環境と直接に結びつけることにあります。風景やその地の人々を見て、感じることができ、数多くのエイドステーションでは地域の特産物を味わうことができるのです。新鮮なホタテ貝の網焼きやサンマのスープから、私も最初の訪問で体験したちょっと勇気のいるホヤが揃います。これらすべてが、地元の人々によって供され、そこに愛を感じないでいられません。以前にここへ来たことのある人は、明確に変化の感触を得るはずです。何年にも及ぶ清掃を経て復興が進んでいる感覚があり、長く続いた空漠さは今や埋まり始めています。水田では稲が密集し、道や橋は修復され、漁師船も海面へ戻ってきました。

サイクリングへの愛を通じて人々をここに集めるという、シンプルな活動はまた違う形に結実します。ただ直接にここを走るだけではなく、ライダーがその体験を他の人々に語り伝えること。それはしばしば、ここに住む自分たちは忘れられているのではないかと感じる人たちにとって、大きな動きになるはずです。家を失い仮設住宅に住む23万人近い人々にとって、物事は通常から遠くかけ離れており、そのひとりひとりが自身の津波体験に即時の、そして長らく続く記憶を保持しているのですす。

よりささやかな暮らしの息づきを感じたコース脇では、人々は畑で熱心に作業をしていたのに、私たちが通過するのに合わせ声援を送るのに時間を割いてくれました。日陰に吊るされた玉ねぎ、午後の日光の下乾燥させるために昆布が広げられた丘では、その数メートル先をサイクリストが登っていきます。ある者は息を切らして、ある者は涼しげに。

私が話しをしたライダーの多くが、ここにはすでに来たことがあると言っていました。ほとんどが2回か3回走ったことがあり、震災の前にはこの地域に来たことのない人たちもいましたが、みんな修復への願いと、直接かつ個人的な献身を通じ変化がもたらされている進行中の復興へ、思いをひとつに集まっていったのでした。年ごとに増えている参加者の数は、元プロ選手やオリンピアン、パリ〜ブレスト〜パリのライダーやアメリカ駐日大使キャロライン・ケネディ氏の2年目の参加などもあり、ここに住む人たちにとって目に見えるサインとなっています。このイベントの最終目標は、この地が再び活力に満ちるように10年間開催し、やがてはプロのステージレースを開催すること。そう、今一度。

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