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Part3 - 金剛山

高野山を離れて少し上ると、ちょうど街の外れに小さなトンネルがあった。見渡す限り、山は杉に覆われている。鬱蒼としていて、地面に光が届きそうにない。手で掴めそうなほど低い灰色の雲が辺りを包む。トンネルの先は真っ白で何も見えない。互いの顔を見合わせてから、不思議な世界に飛び込むようにペダルを踏み込んだ。
トンネルを抜けるとすぐに左カーブ。そこからはドラマチックなダウンヒルが待っていた。景色を楽しむ余裕なんて無い。そもそも霧で景色なんて見えない。ブレーキレバーをキツく握りしめて右コーナーを抜け、すぐにタイヤのグリップを確認しながら左に重心を移す。坂道は常にグネグネ曲がっていて、路面は荒れ気味。濡れているコーナーがほとんどなので気が抜けない。石や木の枝が落ちているので、ヒリヒリとした緊張感に包まれながら下りをこなす。65km/hで落下物に衝突するのは御免だ。とにかく半日かけて稼いだ標高を、僅か10分で下り切った。
勾配が緩むと川沿いの快走路が続き、下り基調なのでペースが上がる。こんな川沿いのルートは夏場のライドに最適だ。体感的に5度から10度は気温が低い。でも冬場はただ寒いだけだった。



分岐を右に曲がると、ジワリジワリと上りが始まった。明らかに高野山の山頂よりも暖かい。ジャケットを脱いで背中のポケットに詰め込むと、誰が言い出したわけでもなくペースアップが始まる。でもまだ全行程の半分を終えた程度。大きな旧家が立ち並ぶ集落を抜けて先を急ぐ。台風の強風に耐えうるように、どの家もずっしりとした瓦を冠している。その立派な瓦屋根が大地震のときに命取りになり得るのだが。そう、そう言えばほとんど自動車を見ていない。高野山を離れてはや30km。すれ違った自動車は僅かに1台だった。


早くも胃の中のエネルギーレベルは低下していた。渡辺と小俣は、上りの頂上までの距離が知りたくて仕方が無い様子。内池は自販機の登場を心待ちにしているが、コーナーの先にあるのは杉林だけ。自販機が蔓延している日本だけに、余計に心細く感じる。日本で走っているとボトルの重要性を感じない。よほどの山奥を走らない限り、極端な話、ボトルを持たなくてもライド中の水分補給は自販機で事足りるんじゃないかと思うほど。特に脚の指先から唇まで凍り付くような日には、自販機が心強い味方だ。小銭を入れてボタンを押せば、甘いコーヒーから紅茶、ココア、そしてコーンスープまで飛び出てくる。機械によっては時間に合わせて「おはようございます」から「こんばんは」まで言ってくれる。文化の違いを痛感する。

待望の自販機で糖分を補給後、この日最長のダウンヒル区間に挑んだ。ようやく太陽が顔を出したので、路面は乾き始めている。そして何より景色が美しくて、「下り坂」というご馳走が一層引き立つ。下りの途中で立ち止まり、太陽光と雲が織りなす渓谷の景色に思わず見とれた。

太陽は一日の行程を終えようとしていた。でもまだ自分たちの行程は終わっていない。これから紀ノ川を渡って、この日最初に上った葛城山系を反対側から上り返す行程が残っている。傾いた太陽が作り出す長い影と追いかけっこしながら街を抜け、果樹園や鶏舎を横目に金剛トンネルへの上りへ向かう。暗い森へ誘うように伸びる上りは日本の典型的な峠道。等高線に寄り添いながら高度を上げる道は、コーナーの間隔が短い。目線の先にあるガードレールが行く先を示しているが、大抵の場合は気付かないままその場所を通過する。
大阪府の最高地点である金剛山の南側を走るこの国道310号線で、苦しまなかったライダーは誰もいないと思う。誰もが早くこの峠を上ってしまいたいという衝動にかられていた。しばらくして単独走行が始まると、それぞれのライダーは高揚か恐怖のどちらかに苛まれながら走り続けた。今から10年前に飛ぶように上ったときと比べると、ずいぶん長い上りに感じたものの、個人的には瑞牆(最初の四列島ライド)で取りついた悪魔から解放されたような気がした。樹々が姿を消し、視界が開けると、眼下に五條の街が見えてきた。山々がゆっくりと盆地に影を落とす。しばらく立ち止まっていると、チョウチョのようなピンクの粒が揺れながら峠を上っているのが見えた。

振り返ると内池がすぐ後ろに迫っている。現役時代に備わった競技本能に火がついたのか、気付くと目一杯ペダルを踏んでいた。ペダル100回転分、本気でダンシング。峠の頂上が近いことは知っていた。でも少しでも早くこの上りを終えてしまいたかったのだと思う。背中のポケットに手を伸ばして、グミをほおばって血糖値を上げる。一人で、頂上のトンネルに到着した。
しばらくして内池、小俣、渡辺が間隔を置いて到着。矢野は何とか日が暮れる前に頂上に辿り着いた。ここからは全員でレースだ。互いの速さを競うレースではなく、1秒毎に深くなる夜の帳とのレース。足早にトンネルを抜けて湿った下りに差し掛かる。必要以上に路面に施された減速帯に嫌気がさしながらも、最後の力を振り絞って踏む。もう力を余す必要は無い。もう河内長野駅まで下り切るのみだ。




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