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Part2 - 高野山

高野山口駅を離れて、紀ノ川を足早に渡った。自動車、石垣、電柱、ガードレールが入り乱れる走りにくい幹線道路を離れ、緩やかに流れる川沿いの国道に入る。土砂崩れを防止するために、山肌は痛々しくも、ワッフル形のコンクリートに覆われている。ところどころ岩がせり出しているので、身を屈めて避けないとヘルメットを割りそうだ。色褪せた橋を曲がり、国道を左に逸れて、山を直線的に上る旧道に入った。
旧道は頭上に延びていた。山肌に沿うガードレールが行き先を示している。細くて、路面が悪くて、馬鹿げているぐらい急な上り坂。振り向いて他のライダーの表情を確認。「誰がこんな道を選んだんだ」。そんな満場一致の雰囲気を感じながら上りを進む。自動車やバスは新しくて幅が広くて、そして勾配が緩くい国道を走っている。でも我々は巡礼者たちが通った旧道を選んだ。


一歩ずつ確実に上っているはず。そう信じてペダルを踏み込んだ。全員サドルから腰を上げている。でも加速しようとしているんじゃない。ペダルに全体重をかけて、クランクを何とか回すために腰を上げているだけ。当然、ギアは早いうちに使い切っている。まだギアが残っているんじゃないかとシフターを押し込んでも、ディレイラーはそれ以上動いてくれない。目の前に続くコンクリートの路面に目線を落とす。ライダーの苦しい息づかいが反響する耳の中に「ホーホケキョ」という優しく甘美な鳴き声が入ってきた。
勾配が緩んで一息つくと、今度は違う音が樹々の向こうから漏れ聞こえてきた。金属をすりあわせたような甲高い音。列車がカーブを抜け、慎重に上りを進んでいる音だ。こんな山奥に列車の音が響き渡る違和感。その音に向かって急峻な斜面を降りると、ようやく駅が見えてきた。
南海高野線は大阪と高野山を僅か2時間で結んでいる。巡礼者たちは赤と白の列車に乗って中腹の極楽橋駅に向かい、そこでケーブルカーに乗り換えて高野山へ。何年も前にこの地を訪れた時「どうして自分のバイクを持って来なかったんだ?」と悔いたことを思い出した。
すると突然、土砂崩れがコースを埋めていた。人間の力ではとても動かせないような巨石がコースの上に横たわっている。自動車の通過は到底無理。まさかここでバイクを担ぐ練習をするとは思っていなかった。そこから緩い上りを進んで頂上が近づくと、遠くから寺の鐘の音が聞こえてくる。ついに高野山へ脚を踏み入れた。




高野山は霧に覆われていた。寒くて湿度の高い雰囲気が、歴史的な聖地にフィットする。サイクルコンピューターに表示されている距離以上に、大阪~高野山は距離があるように感じる。予想以上に内容の濃い行程だったので、みな揃って表情にハリが無い。人里離れていたこともあり、無性に食べ物が欲しくなる。観光地化している高野山を離れると、あと何時間かは食事にありつけない。冷たい雨が降り始めたので、足早に食堂を見つけて入る。色褪せた外のディスプレイは決して食欲をそそらないが、迷っている暇はない。うどんや丼を胃の中に流し込む。暖かい食べ物に生気を得た。



第二次世界大戦中、日本の多くの都市は空襲の被害を受けた。例外だったのは歴史的な寺院や神社が集まった場所。だから高野山のような霊場には、巨木が残っていることが多い。高野山では、太い杉が霧に向かって伸びていた。中でも、何百年にも渡って墓地として奥の院は別格の存在。参道には無数の石塔が立ち並び、織田信長や豊臣秀吉の墓碑もある。弘法大師空海が、今もそこで瞑想を続けているとも言われている。でも霊的で気味の悪い場所じゃない。静かで穏やかな場所。そして、街の中はお香の臭いが立ち込める。道に溢れたお坊さんは、どんなに寒くても藁で編んだわらじで歩いている。笠を被って歩くその姿は椎茸みたいだ。




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